※こちらは1942年の宝石店のジュエリーカタログです。第二次世界大戦中ということもあってか、右上には戦闘の様子が描かれています。
シックであり、またゴージャスでもあるヴィンテージアクセサリー。その魅力に、現代の人々の多くが夢中になっています。
大量生産で作られたものもあれば、一点ものの非常に希少価値の高いヴィンテージものも、その種類は非常に多様性に富んでいます。
今回はそんなユニークなヴィンテージの中でも、1940年代のアメリカに焦点を当てて知られざる歴史を紐解いていきたいと思います。
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1940年代とは
この年代の大きな出来事といえば、「長引く世界恐慌の影響」「第二次世界大戦」でしょうか。
1929年の10月24日にアメリカはニューヨークの市場で株価が大暴落したのをきっかけとし、世界はひどい不況に陥りました。 その影響は非常に大きく、1930年代は暗黒の年代として語り継がれるほどでした。
また、1939年からおよそ6年間続いた第二次世界大戦が、アメリカの経済を非常に苦しめることになりました。
人々は不安や恐れを抱きながらも、きっと来るであろう明るい未来を見つめながら、日々を過ごしていました。そんな中で、様々なジュエリーが作られていきました。
1940年代のアクセサリー
※こちらの美しい女優は1940年代を代表する女優、リタ・ヘイワース。戦時中はGI軍のトップピンナップガールとして、「愛の女神」とまで称されていました。
お話ししたように時は1940年代。戦争が始まると国は兵器や戦争用の装備品の制作のため、大量
金属と大量の労働者を必要としました。そんな中でも人々は希望を絶やさぬよう、逆に明るく派手なアクセサリーを好むようになりました。
美しいアクセサリーを身につけることで、日々の不安に打ち勝とうとしたのです。
しかしアクセサリーに使用されるべき金属や素材はことごとく戦争のために消費されていきました。そのため、その代用品として木材やガラス、プラスチックや養殖の真珠やスターリングシルバー、チタンやフェイクのストーンなどの安価かつ容易に手に入る素材を使用したアクセサリーを制作するようになっていきます。
またアクセサリーの制作も簡単ではなくなりました。多くの工場は装備品などのために使用され、熟練した職人たちはその技術力の高さから多くが装備品の制作のために駆り出されたためです。
そこで代わりにアクセサリーを制作することになったのは新米の職人たちでした。彼らは急激に腕をあげ、多くの優れた作品を世に送り出していきました。ちなみにその中には移民の職人たちも多く含まれていました。
アクセサリーの素材
その頃の男性のファッションはといえば、とてもシンプルなものでした。それと逆行するかのように、女性たちのファッションはエレガントでカラフルなものになっていきます。
Simpson's Catalogue, Public domain, via Wikimedia Commons
※こちらの画像は1945年のカタログです。美しいブルーのコートがモデルの美しさを引き立てています。
そのため、女性たちのファッションに負けないような大ぶりで美しい装飾が施されたアクセサリーが流行していきます。
studio, Public domain, via Wikimedia Commons
また1940年代は金メッキも非常に流行した年代でもあります。安価な金属の上に、薄い膜となった金を貼り付けることで、その安価さを微塵も感じさせない芸術品のようなネックレスやイヤリング、リングが作れられていきました。
金メッキと並んでこの時代に人気の素材となったのがプラスチックでした。
それまでは一般的にセルロイドが使用されていましたが、熱に弱く発火の危険性があることから、それに代わる新素材として誕生したのが「ベークライト」と呼ばれる人工のプラスチックでした。
ベークライトはそれまでのプラスチックと違い安価・安全・加工しやすいという利点があるため、ジュエリー界でもその人気は一気に高まり、多くのベークライトアクセサリーが誕生しました。
Lancdid at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
しかし問題が一つありました。それはそのカラーの少なさです。初期のベークライトは黒やこげ茶などのダークな色合いしか出すことができなかったのです。そのデメリットを打ち消したのが、Catalin(カタリン)社のカラフルなプラスチックでした。
プラスチックが持つ利点と、カラフルさが相まってその人気は最高潮まで高まっていったのです。
ちなみにベークライトは時を経るごとにその色が変色していってしまいます。つまり、製造当時のままの発色を保つことが難しいのです。そのため、製造当時のままの鮮やかな発色を保ったベークライトのアクセサリーは、非常に高値で取引されています。
人気のアクセサリー
Vintage Jewellery UK, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
1940年代に流行したのが、チャーム(ハートや鳥などを模して作られた小さな飾り)がたくさん付いたチャームブレスレットと、ネームタグ(人の名前が刻印された薄い板)をつけたブレスレットでした。
またプラスチックで作られたバングルも非常に高い人気を誇り、その安価さから様々な色のたくさんのバングルを一度に身につけることも流行していきました。
大ぶりのビーズで作られたビーズネックレスもまた人気でした。素材が不足していることから、この時代には真珠製のものは少なく大抵の場合プラスチックやガラスを大胆に配したデザインが人気となりました。
National Gallery of Art , CC0, via Wikimedia Commons
そして戦争という時代背景が、中に写真を入れておけるロケットネックレスを流行させました。不安定な環境下で、自分の大切な恋人や家族といつもそばに居たいと思う女性たちにとって、ロケットネックレスを身につけることはとても自然な流れであったでしょう。
この時代多くの女性たちがこのロケットネックレスに大切に思う人の写真を入れて、肌身離さず身につけて居たようです。
当然指輪もその素材不足という状況から、とてもシンプルなものが好まれました。
ちなみにこの頃の人気のデザインとしては、自然をモチーフにしたアール・ヌーヴォーの人気が続いていました。1910年ごろからアール・デコの隆盛も有りましたが、一般的には果物や花をモチーフにしたネックレスやリング、イヤリングに熱い視線が注がれていました。
アクセサリーに込めた思い
アメリカを含め、恐慌と戦争という非常に大きく生活を脅かす出来事に怯えて居ました。そのため当時の職人たちは自国に対する愛をそのアクセサリーに込めることにしました。
例えばカルティエなどは、戦争に勝つんだという確固たる決意を、Victoryの”V”にこめたブローチを発表しています。(上記画像はカルティエの作品ではありません)
アクセサリーというチャンネルを通して、自国の人々を奮い立たせようとしたのでしょう。アクセサリーはもはや単なる装飾品を超え、”ストーリーテリング”という新たな役割をも担うようになっていったのです。
ヴィンテージアクセサリーのもつ力
ヴィンテージアクセサリーと一口で言っても、その年代や地域によってそのアクセサリーが持つ意味合いやデザインは大きく異なります。
素材がないのであればないなりに、世界が不安定で暗いのならば明るくカラフルなデザインに、1940年代の人々はアクセサリーに平和への願いを込めていました。
新米の職人たちがその技術を必死に高め、試行錯誤の上で生み出されていった数々のユニークなアンティークジュエリーたち。
それを身につけるだけで、自分にも何か不思議な力が湧いてきそうな魅力と貫禄が、ヴィンテージアクセサリーの一つの魅力と言えるかもしれません。
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