top of page

ヴィンテージアクセサリーの歴史 ー1920年代ー

更新日:2021年9月20日


ナイトクラブで騒ぐ若者たち

参考:https://www.thoughtco.com/flappers-in-the-roaring-twenties-1779240

今から約100年近く前の1920年代。

初めての世界大戦を経験し、不安定な情勢が続いたこの時代に、彼らはどのようなアクセサリーを身につけて、日々を過ごしたのでしょうか。

今回は1920年代のアメリカに注目していきたいと思います。

 

1920年代とは

塹壕戦でこう着状態のアメリカ軍兵士

参考:https://www.historyonthenet.com/world-war-one-causes-2/

1914年から始まった初の世界大戦である第一次世界大戦は、当時の先進国であったアメリカ、イギリス、フランスなど10以上の国を巻き込み開戦し、大量の死者を出したのちに1918年の年末に終結しました。

世界大戦の終戦後、経済の中心であったヨーロッパは疲弊することとなりましたが、アメリカは兵器の生産と輸出により多くの外貨を獲得し、巨万の富を得ました。

その影響もあり、1920年代のアメリカは”狂騒の20年代”と呼ばれるほどに様々な文化が花開きました。いくつか例を挙げましょう。

・ジャズミュージック

ジャズミュージックを牽引した黒人アーティスト

参考:https://evolutionofjazz.wordpress.com/2015/10/28/why-was-jazz-music-so-controversial/

アフリカンミュージックとウエスタンミュージックが組み合わされて生まれたとされるジャズミュージックは、この年代に非常に人気がありました。

1920年にピッツバークでラジオ局の放送が開始され、新たな娯楽・情報を提供するものとして、1920年代に急激に普及していきました。その影響もあり、人々はジャズミュージックの美しいメロディに夢中になりました。

ジャズ好きであれば誰もが知るコットンクラブなど、ジャズミュージックを楽しむための場所も、どんどん乱立していきました。

・禁酒法

大量のお酒を廃棄する人々

当時、アメリカでは宗教的な観点から、お酒は神様からの贈り物であるという考えを持っていました。しかし同時にその乱用は悪魔の仕業であるという考えも持っていました。

その後18世紀後半になり、お酒が健康を害するという意見を医者たちが主張し始めました。また、お酒は悪魔の飲み物であり、飲むことは神の教えに反するという意見を持つ者たちが禁酒運動をスタートさせていきます。それに端を発し、禁酒運動は徐々にアメリカ全土で広がり出していきます。

そして1920年1月16日に禁酒法が成立し、人々は混乱します。その内容は、「製造も販売も輸送も禁止するが、既に手元にあるお酒を飲むのは問題ない」という曖昧なものであったためです。

その結果、酒の密造や密輸入が頻発し治安は悪化しました。さらには質の悪い密造酒を飲んで、健康を害する人が非常に増えました。またギャングたちはここぞとばかりに違法に酒を取り扱うことで私腹を肥やしてもいました。

国としても毎年入っていた酒税約5億ドルの財源がなくなり、ここでもダメージを受けることになりました。

状況をよくしようと考え施行された禁酒法でしたが、それらの失敗を受け13年後の1933年に廃止されました。今でも最悪の法律として語り継がれているほどの失敗でした。


※この時代に生まれた興味深い文化として、スピークイージーがあります。現代においても様々な形でこの形式のバーが乱立しています。


興味がおありの方には別記事スピークイージーの知られざる歴史をぜひご覧ください。

・自動車の普及

大量生産されたフォードのTモデル

参考:https://www.pinterest.com/pin/449093394072402357/

ヘンリー・フォードが創業したフォード社のTモデルは、大量生産の体制を整えることに成功し1920年代には年間100万代もの自動車を製造できるまでになりました。

大量生産により生産コストは下がったため、この時代には多くの人が自動車を買い求めることになります。

圧倒的なシェアを誇ったフォードでしたが、Tモデルにこだわりすぎるあまり製品の改良を怠り、GM社のシボレーに徐々に人気を奪われていくことになります。そんな変化の速さもこの時代ならではと言えるでしょう。

・フラッパー

タバコを吸うミニスカートのフラッパー

参考:https://www.tumblr.com/search/1920s%20flapper%20girl

少し横道に逸れ過ぎてしまいましたので、アクセサリー関連の当時の文化をご紹介します。

フラッパーとは当時流行した生活スタイルやファッションを好んだ若い女性のことを指します。1920年代はそれまでの古い価値観を壊すことが一つの流行となっており、このフラッパーはそんな流行に乗った若い女性たちでした。

短いスカートにボブカットのヘアスタイル。タバコを吸ってジャズ音楽を楽しむというような、それまでの女性たちの生活スタイルとは一線を画すようなスタイルを作り上げていきました。

 

アール・デコの人気が最高潮に

長方形にカットされたエメラルド

参考:https://www.pinterest.jp/pin/855191416715208240/

この頃に栄華を誇ったのが実用的であり直線的・幾何学的なデザインであったアール・デコでした。

大量生産の文化が根付いてきたアメリカでは、徐々に富裕層に人気があったアール・ヌーヴォーから、大量生産しやすいアール・デコへと人気が移ってきたのです。

それに伴い、当時のリングに付けられた宝石は長方形や正方形、楕円形などそれまでのカッティングとは少し異なる方法で飾り付けれることになっていきました。

これら新しいスタイルは、当時のフラッパーをはじめとする女性たちに大いに人気を博しました。

 

細長いイヤリング

直線と楕円の美しいハーモニーのイヤリング

参考:https://www.pinterest.jp/pin/359725088977646542/

フラッパーなるショートカットの女性たちが街に溢れ、イヤリングのデザイナーたちはショートカットの女性に似合うイヤリングを試行錯誤し、新たなスタイルを生み出しました。それが細長いイヤリングです。

それまでの耳たぶを中心にボリュームを付けたイヤリングを、大きく開いた首元を美しく飾るために細長く垂らし、耳元から首元までの空間をキラキラとデコレーションすることに成功しました。

当時昼間にダイヤモンドを身につけることは下品であるという価値観があったために、サンゴやターコイズ、またアール・デコの流れでオニキスなどのストーンも人気がありました。その多くはラインストーンで美しく縁取られ、当時の女性の魅力を極限まで引き上げていました。

 

ロングネックレス

当時の女性たちの首元を飾ることが多かったのが、60センチ以上もある長い真珠のネックレスでした。

大量生産の機運が高まるアメリカでは、培養されたフェイクパールと呼ばれるものが流行し、それまで真珠に手が出せなかった一般の消費者層もパールネックレスを身につけることができるようになりました。

当時の着け方の流行は、パールのネックレスを一緒にいくつも着けて首元に華やかさをもたらすことでした。

また当時フラッパーたちが好んで着用していたのがオープンバックドレスと呼ばれる、背中が大きく開いたセクシーなドレスでした。

ロングネックレスを着けたシックなフラッパー

参考:https://www.pinterest.jp/pin/249246160598313559/

それまで胸元を飾るためにあったネックレスを、背中を飾るために長くしたものがこのロングネックレスでした。それは時にパールで作られ、時にビーズで作られていました。

デザイナーたちはフラッパーという新しいスタイルのファッションスタイルに注目し、このような新しいスタイルのアクセサリーをどんどん生み出していったのです。

ちなみにこの頃の文化、アメリカを学ぶために最適な映画が”Live by night”でしょう。ベン・アフレックなど人気ハリウッド俳優らが出演しているこの映画は、ファッションや自動車、建物や音楽まで、そのどれもが細部に至るまで当時のままに再現されています。

多くのフラッパーと呼ばれる女性たちも登場しますので、1920年代のファッション、アクセサリーに興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。

カントリージェントルマンではそんな歴史を感じさせるようなヴィンテージアクセサリーを制作しています。

是非この機会にぜひご覧ください。

<関連記事>

bottom of page