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”死”とヴィンテージアクセサリーの歴史

更新日:10月26日


ゴールド&ブラックのモーニングリング

Geni, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons


これまで当ブログでは、スプーンリングにまつわる”結婚”の歴史や、襤褸(ボロ)にまつわる”継承”の歴史など、どこか心が暖かくなるような興味深いストーリーをご紹介してまいりました。


”死”という切り口でヴィンテージアクセサリーを見るとき、そこには恐ろしい歴史と、そして悲しくも暖かいストーリーがあることに気づきます。


今回ご紹介するヴィンテージアクセサリーは「ポイズンリング」と「モーニングリング」です。

 

死をもたらすポイズンリング

恐ろしいポイズンリング

See page for author, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons


(こちらは16世紀ごろのイタリアのポイズンリングとなります。蛇にも似たデザインが、少し恐ろしさを感じさせる指輪となっています。)


はじめにご紹介するのは、身につけた人に、もしくはそれ以外の人に死をもたらす恐ろしいポイズンリングというヴィンテージアクセサリーです。


ご覧いただいている通り、デザインとしてリングに付けられた小さな箱や空洞の部分に、粉や液体の毒を仕込むことのできる仕組みが搭載されている、その名の通りの毒の指輪がポイズンリングです。


その歴史は非常に古いとされていますが、その起源には諸説あり古代インドや古代ペルシャ、アジアから生まれたと言われますが、明確な記述は残されていません。


これはあくまで個人的な推測ですが、ポイズンリングそのものは誰にも知られることなく特定の人物を暗殺したり、自らが窮地に陥った際に自ら命を断てるように開発されたものであるため、


そもそもが「隠しておきたい」アクセサリーであったため、明確な起源が判然としない理由ではないかと考えております。


話を戻します。

イタリアのポイズンリング

See page for author, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons


(こちらは14世紀ごろのイタリアで見つかったポイズンリングです)


ポイズンリングは古代インドや古代ペルシャなどで生まれ、その後徐々にヨーロッパへと伝わっていったとされます。


ポイズンリングそれ自体が人に知られてしまっては使用の際に不都合となるため、それを実際に使用した人はほとんど歴史上に登場しないのですが、


それでも古代ギリシャの弁論家デモステネスや、古代ローマ最強の敵と呼ばれたハンニバルが、このポイズンリングで自ら命を断ったと言われている他、


現代では”悪女”と呼ばれることもある15−16世期の女性ルクレツィア・ボルジアが、ポイズンリングを用いてボルジア家の政敵を毒殺したという噂があります。


少し話がそれますが、彼女の生まれたイタリアのボルジア家には”カンタレラ”なるボルジア家独自の猛毒があったとされており、もしかするとその”カンタレラ”が彼女のポイズンリングの中には入っていたのかもしれません。

 

ポイズンリングの疑わしい点

ポイズンリングで暗殺される女性

リングの中に毒を隠して暗殺をするという恐ろしい歴史を持つポイズンリングですが、実際のところ実用性の面では疑わしい点が多いともされています。


具体的には


「16世期の段階で、リングの中に隠せるほどの少量で実際に人の命を奪えるほどの効果が出せるほどの純度の高い毒を作り出せたかが不明である」という点と、


「毒は独特の匂いや味がすることが多く、仮に飲み物や食べ物に含ませられたとしても、対象の敵がそれに気づいて致死量を摂取することはできなかったのではないか」という点です。

(この点に関しては、自ら命を断つ分には自分で我慢をすれば良い為、自分で飲む分には問題はありませんが)


そのため実際にポイズンリングの実用性には疑問符がつきますが、装飾品でありながらも人の命を奪うことができるという稀有な役割を持つこのヴィンテージアクセサリーは、現代においても多くの人の興味を引くところとなっています。


ちなみに(今回は横道に逸れることが多く恐縮ですが)、実際にポイズンリングを用いる際には、毒を入れてある小さな箱の部分を手の平側に回転させ、手の平で隠しながら指で箱を開けて飲み物などに毒を混入させていたようです。


また、ポイズンリングから毒を注ぐだけでなく、ポイズンリング自体に毒を仕込んでおき、それをターゲットに身につけさせることによって命を奪うものもあるとされ、様々な工夫がなされていたようです。(身につけさせるのもなかなかの難易度かと思いますが)


現代でも、それほど多くはありませんが様々なブランドがこのポイズンリングを模した中空かつ開閉できるギミックを搭載した指輪を発表してもいます。

 

愛と死を繋ぐモーニングリング

19世紀のモーニングリング

(こちらは1807年に作られた黒と金のコントラストがなんとも美しいモーニングリングです。)


次にご紹介する”死”にまつわるヴィンテージアクセサリーは、「モーニングリング」と呼ばれるものです。


日本語で書くと”モーニング”となってしまいますが、これは「朝」を表す"Morning"ではなく「哀悼、喪章、喪」を表す"Mourning"のリングが、ここでいうモーニングリングとなります。


日本ではほとんど耳にすることのないであろうこのモーニングリングにも、非常に深い歴史があります。


その起源は古く、ローマ帝国時代にまで遡れるこのリングは、14世紀ごろから19世紀末頃まで様々な人が身につけていました。


このリングが持つ意味合いを一言で表現することは非常に難しいのですが、多くは哀悼を示すためのリングとして、または追悼するため、亡くなった人を記憶しておく為に作られ、身につけられたとされています。

 

モーニングリングの最盛期


最盛期はイギリスのビクトリア朝時代(1837-1901年)であり、これからお話しするストーリーを背景に多くの人がモーニングリング(またはモーニングジュエリー)を作り、身に付けることになりました。

国民に愛されたビクトリア女王

時は1861年、当時ビクトリア女王は最愛の夫であるアルバートを亡くし、深い悲しみに暮れました。それまでに行っていた公務や社交界へも関わる機会がほとんどなくなってしまうほどに、彼女はアルバートを失った喪失感に打ちひしがれていました。


彼女は哀悼の意を示すべく、10年以上にも及ぶ長い喪に服しました。彼女が公に登場する時は常に喪服であり、喪に服するためのモーニングジュエリーを身につけていました。


ビクトリア女王は民衆から厚い支持を受けており、そのことから彼女のように喪に服するためのジュエリーを身に付けることが、この頃非常に流行することになっていきました。


(ちなみに、彼女の悲しみは非常に深く公務や社交界への出席もほとんど取りやめてしまっていたため、彼女のこうした振る舞いに必ずしも好意的な人ばかりではなかったようですが、それでも彼女の治世時は大英帝国が世界の約4分の1を支配していた全盛期であり、その人気もあってこの流行が生まれたようです。)


喪に服するジュエリーとして最適とされたのが、”黒”のモーニングジュエリーであり、多くはジェット(化石化した木炭)やオニキス、などの黒い石の他、黒いエナメルが用いられていました。(事実、ビクトリア女王が身につけていたものもジェットが多用されていたようです。)

18世紀の美しいモーニングリング

こちらは1735年のモーニングリングです。ゴールドと半貴石、そして黒いエナメルで亡くなった人への哀悼の意を示しています。

 

奇妙なモーニングジュエリー


この頃のモーニングジュエリー(ヘアアクセサリー・ブローチ・ペンダント・ネックレスなど)として、一つとても奇妙な、そしてある意味気味の悪いものがあります。


それがヘアージュエリーと呼ばれる、亡くなった人の遺髪をジュエリーに組み込んだ不思議なジュエリーでした。そのほとんどは編みこまれ、指輪やペンダントに埋め込まれていた他、なんとネックレスのチェーンとして編み込まれた遺髪が使用されることすらありました。

遺髪が編み込まれたブローチ

正直に言ってしまえば私は怖くて身につけられないような気持ちがしますが、それほどまでにこの時代ではモーニングジュエリーが流行していたのだということを感じさせてくれるような、そんな少し風変わりなスタイルのジュエリーとなっています。


そしてこのモーニングリングの多くは、亡くなった人もしくはその相続人から会葬者への贈り物として、自らの遺産の中から支払いを行い、贈られていたそうです。


しかしその後の世界大戦の頃などには多くの人が亡くなり、そのために遺族への金銭的な負担ともなっていった為に、このモーニングリングという一つの文化は、徐々に失われていくことになります。

(一説には遺産の10分の1ほどがこのモーニングリングのために確保されていたとも言われています。)


※モーニングリングを語る上で、メメントモリの概念についてもお話しさせていただくべきかとも思いましたが、それはまた別の機会に譲らせていただければと思います。

 

失われた2つのリング


ポイズンリングと、モーニングリング。


この2つのリングは、時代の流れとともに徐々に表舞台からその姿を消しました。


”死”という全ての生物が避けられない一つの終着点において非常に強い関わりを持つこのリングは、現代においてほとんど見られることは無くなりましたが、


現在では単なる装飾品としてしか見られない、”指輪”というものが持つ人間との深い関わり合いとその歴史を感じることができます。


正直に申し上げて個人的にはどちらのリングも手に入れたいとは思いませんが、、いつかこの目で見る機会があればとは、少しだけではありますが願ってもおります。


参考:In Death Lamented: The Tradition of Anglo-American Mourning Jewelry


Country Gentleman













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